進捗の堪えられない歪み

2021/11/9

 100円ショップって、あるじゃないですか。それの、レジの、写生大会が開かれた冬の始まりの諸島だった。ナイフを突き立て、豚肉の、塊の切り分け。それをしたかった100円だ。である10円は、10銭の、何倍かである数学に贈り物を隠蔽する布を併せ、220(ニーニーマル)事件です。そのとき、乳幼児は、にこやかだった。雨に濡れ健やかだった。

 原稿用紙246枚分の I love you があるとしたら、えーっと、無駄。口頭で伝えろと思う。し、肉体がなくても愛し続けろとさえ、思った。僕が、というより、人物が。架空でありながらどこかに実在するであろう彼女であったり彼たちが。そうした。思ったことを描き写す方式としての小説だった。を、作った。作る。これからもそうする。たぶん。きっと。

 物語の終わりを決めるのは作者ではない。宇宙だ。宇宙の法則がそれを決めるとき、前兆は、地下に潜んでいる。初期微動継続時間は動物だけが感じている。うさぎが耳を立て、カエルが下顎の皺を小刻みに震わせるとき、人間のみが、鈍感だ。皮膚はセンサーの役割を果たさない。

 日々、進捗がぶれのない比例直線を描くことはまずありえなかった。それは波打ち、惑い、蛇行する。できる、できない、間に合う、間に合わない、一日ごとの花占いはその日の進み具合によって刻一刻と状況を変えていき、情緒を不安定化させる。一日単位ならまだいい。ひどいときは、一時間ごとに、いや、10分ごとに不安と安心が心臓を脅かし続けるのだ。

 雛形を組み立てるための設計が躁だとしたら、それを仔細に検分し、修正していく段階は鬱だ。人格はそのときどきで二重に分裂する。二人一組ならぬ一人二役一組で、弁証法的アミの目をかいくぐった先にしか、鑑賞するに堪えうる作品は生成されえない。

 ここから一ヶ月、陰鬱な、かつての見聞きに堪えない思春期を自己採点させられるような、作り直しの時間が始まる。そのとき、作者は否応なく自らの拙さを、かの有名なルドヴィコ療法によってまぶたをクリップで固定されたマルコム・マクダウェルのように、直視し続けなければならないのだ。

 もちろん、単なる苦役の旅ではない。苦役の中にこそ悦楽が潜んでいる。悦楽にはコストがかかる。わざわざ遠回りしてでも苦しみを求めるのが、人間の愚かさであり、豊かさであるのだ。