ピンぼけ体操第一

2021/10/14

 血行の、改善体操第一を巡る狂想曲にはDa Capoがなかった。それが、首の痛みだったようなものだ。みたいに、言った。発言した物言う株主だった協会のプラティ煮。ちょ待てよ。煮りゃいいってもんでもないだろうがよ。なあ。おい。……おーい。

 玄関のチャイムが鳴り、猫の餌を与える番ですよ風の従業員たちがメントスを誤ってコーラに投入しないよう必死。震えている。僕が一歩でも動いたらドミノは倒れるし、ジェンガは、崩れそうだった君の乳房の片方をピンぼけで捉えていた。

 午後は、録画した殺害予告を執拗に観る。0.5倍速で、何度も、何度も。予告対象である自分とはまったく似ても似つかない警察署作成の似顔絵の、舌の(笑)、色彩が(笑)、生きとし生けるもののそれじゃないですよ(笑)。だから僕たちは子どもを持たなかった。胎児を、フォルダから、Delete&Scrap&Buildした。体外射精で。ヒヨコ式分別法で。

 普通はこう来たらこうなるからそれを裏切ってこうしてみた、けど、裏切ることそのものがもはやひとつの裏切らなさとしてベタの構造へと吸収されつつある昨今、裏の裏は表、的な定説を疑い、超越した場所で、裏切らない裏切り、または、裏切った裏切らなさ、等々を鋭意開発していかなければならない。新しければ醜くてもいいということにはならないし、美しさにかまけて古さに目をつぶるわけにもいかず、簡単なら始めから試みていない、うまくいかないからこそ試してみる価値があるのだと頭では理解しているものの、やはり管啓次郎風に言うならば、技芸の道は長い。長すぎて今生では終わらなそうだ。