約束された樹木のために

2021/10/28

 散歩をしていたんですよ。神社の参道というよりは、どちらかといえば、宇宙規模の、産道で? とはいえ三歩だけです。ほとんど動けなかったから。

 蝿が一匹と蚊が二匹いて、ダンジョンで、引き連れていた。パーティーだった。街はエンカウントのおそれがありながら夕暮れに濡れている交響楽団。ソバージュのようだった、地図記号で。

 驚異、的な体長を持つ犬が地下鉄の入口を占領 in the noon。だった。斬首だった。ぬ〜んとか、ぽや〜んとか、そういうのはもうやめにしませんか。死人が出ているんですよ。とかなんとかいう、運動の、先駆者=加害者は、じゃなくて、の、において、であるからして、ははっ、ちがくて(笑)、あのー(笑)、ガジュマルのように拗じられて損壊した陰茎だった水辺の二人きりを。試して。

 揺れないで。

 いまはまだ。

 この生殖が終わるまでは。

 

 共感と驚異、について書き始めよう、っていうかいま実際に書いてみたのだがうまく書けなかったので全削除した。どうでもいいことだ。そんなことは。もっとほかに言うべきことがある。はずなのに、書いているうちに言うべきことなんてなにもない気がしてくる。ナイキが。ない木て(笑)。あるわ(笑)。え?(笑)いや、そこにあるじゃん。庭に木が生えてるでしょうが。ほら。……あれ?

 

 なくなっている。

 

 ある木は始めからそこにあるし、ない木はそこに存在しないにもかかわらず木であることを強いられている。透明な木は、見ている人がそこにあると信じることで不透明になった。それを木と呼ぶことに必要な最低条件は、木であることではなく、信仰だ。信仰は天啓によって授けられる。天啓を樹木にするための人生を、もし、僕たちが生きているのだとしたら、鳥は、枝葉で休めばよかった。実をついばめばよかった。そしてそれらは糞をする。前人未到の海洋を越え、ブラジルの首都から北北東へ300キロほど離れた森林地帯で、天啓によって授けられた木の実は次の季節を待つことなく芽吹くだろう。そうなれば、倦むこともなくなる。生まれたことを悔いるしかなかった世代にもやがて、恩恵が訪れる。

 ある木よりない木のことを考えてみて。それはそこにあるから。じきに見えてくるから。