ママ、もっと鏡見た?

2021/10/24

 「あなた、僕の足を見てらっしゃいますね」とシーモアに言われた婦人は驚き、「何ですって! 私は床を見てたんですよ」と答えるのだがこれは変人に絡まれてヤバそうだからとっさに嘘をついた、ということではなく、本当に見ていなかったんだと思う。婦人は言葉通り、マジで、一片の曇りもない眼(まなこ)で床を見ていたんだと思う。エレベーターに乗っているとそういうことって、あるから。一点を凝視する方式の時間の潰し方って別に普通だから。その直後、シーモアは拳銃で自分のこめかみを撃ち抜く。なぜか? 足を見られたからだ。実際は足を見られたからではないのだろうが(フィクションに「実際」もクソもないのだが)、足を見られたからシーモアは死んだ、と、そういうふうに恥も外聞もなくおおっぴらに言うことだって、できる。僕たちは言おうと思えばなんとでも言うことができる。「実際」に言わないというだけで、誰しもが。

 昨日、今日はバナナフィッシュにうってつけの日だと思った僕がそこに実在したので、非実在人間こと僕じゃないほうの僕は、自転車で街を走っていた。ら、すれ違う人々がもれなく僕のふくらはぎから太ももにかけての、というよりは膝、の、内側の靭帯、をじろじろと見てきたので「あなた、僕の(透明の)靭帯を見てらっしゃいますね」と逐一声をかけてみました。優しかった。みんな、本当に、親切だった。ほとんど人間に近かったように思う。例えば信号待ちだった原動機付き青年などは、以下のように、言った。「そうですよ。あなたは、素敵な、人体ですよ」青年は判で押したようだった赤い夕焼けの、山ぎわの、パチンコ屋は縦方向に違法建築だった。横方向は、アレだ、あの〜マクドじゃなくて、モスと、ココイチの、耐震偽装か……(笑)。うん(笑)。靭帯は、すっぱりとお刺身になった。甘酸っぱく、レモン煮にも合いそうだった。ニモにも。にわにわにわにわとりの断首後の数秒の走行は血しぶきか? イエスかノーか、半分か? イエスの人はしゃがみ、ノーの人は括ってください。腹を。じゃなくて首を。足首のアキレスのそれを。

 視線恐怖症っぽい症状は昔からあって、ここ数年、悪化している。リハビリが必要なのは明らかだけれども、疫病のせいでさらに強まった外出困難感を解きほぐすには、しばらく時間がかかりそうだ。